「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、中国の降霊術でつくられた詩についてになります。中国では「扶鸞(ふらん)・扶乩(ふけい)」などといっていて、神仙や死者の霊などが降りてくると、木の棒をもっている人は勝手に棒がうごいて、砂の上に字を書いてしまう……というものです。
これによって占いをしたり、もしくは詩をつくったりするのですが、実はその詩がとても不思議な魅力があるので、今回はその紹介をさせてください(わたしは扶鸞をみたことがないですが……)
ちなみに、中国では、死者の霊のことを「鬼(き)」といいます。雰囲気としては、『千と千尋の神隠し』にでてくる黒い影をイメージしてもらえると近いです。
降霊術の詩
まずは、降霊術でつくられた詩の中でも、とりわけ名品とされているものをいきます。これは櫓(舟を漕ぐ棒)についての詩です。
冷えた岩に雪はつもりて松の枝は折れ、はらはらとして青い龍の血を散らしたごとく――、斧を運ぶ巧匠のさりさりと削り成して、剣の脊(背)はわずかに持ちあがって魚の尾のように水を裂く。
五湖の仙人たちは奇趣多くして、神舟に乗りて仙穴を探れば、碧の雲は動かずして明け方の山は横たわり、わずかに櫓を漕ぐ音だけが江上の月に響くのでした。
寒岩雪壓松枝折、斑斑剥尽青虯血。運斤巧匠斫削成、剣脊半開魚尾裂。五湖仙子多奇致、欲駕神舟探仙穴。碧雲不動曉山横、数声揺落江天月。(南宋・周密『斉東野語』巻十六より)
「はらはらとして青い龍の血を散らしたごとく(斑斑剥尽青虯血)」は雪の様子なのですが、雪の青白い感じを「青虯血(青い龍の血)」というのが、すごくおしゃれです。「剣の背・魚尾」はどちらも櫓が水を切り分けたり、魚の尾のようにゆらす様子です。
あと、なぜか突然最後の「碧の雲は動かずして明け方の山は……」で急に夜明け前の様子になっていて、それまでの昼っぽい感じと不調和なのですが、むしろそれが味わい深いです。
もうひとつ、降霊術の詩の傑作をのせてみます。
朝には雲夢のくもの中に立てば、さらさらと青く流れる鏡のようで、糸を垂れて二匹の鯉をつれば、その中には三元の仙境の書が入っていて、その篆字はうねうねと赤い蛇のようで、するする馳せて飛ぶ如くして、帰ってきて天老に問うてみれば、その深き意は窺い得ず――、金の刀は青い帛(きぬ)を裂くようで、その霊書はきらきらとあざやかなのでした。
その霊書のごとく十二の玉を飲んでみれば、忽ちにして仙人の房にあり。ぼんやりと暮れていく上を紫の龍に乗って飛べば、海気はひんやりと肌をさして、龍の子は善く姿を変じて、梅花化粧の娘子(おとめ)となって、私にきらきらとした珠たちを贈れば、その色はさらさら洩れる明月の如し。私にも紅い糸を裳に縫うように勧めて、そのまま二人で手を取りて行けば、下界にはわずかに足音だけが聞こえました。
朝披夢澤雲、笠釣青茫茫。尋絲得双鯉、中有三元章。篆字若丹蛇、逸勢如飛翔。帰来問天老、奧義不可量。金刀割青素、霊文爛煌煌。嚥服十二環、奄見仙人房。暮跨紫鱗去、海気侵肌凉。龍子善變化、化作梅花妝。贈我累累珠、靡靡明月光。勧我穿絳縷、繋作裙間襠。挹子以携去、談笑聞遺香。(「上清宝鼎詩 其一」)
もはや訳わからない詩です……。すごくいい作品なのですが、ふつうの詩に比べて、どこか飛ぶような感じがあって、「朝披夢澤雲、笠釣青茫茫(朝には雲夢のくもの中に立てば、さらさらと青く流れる鏡のようで)」について蘇軾は「常人の語ではない」と云っています(笑)
さらさらと凝り溜まっている
ところで、神仙や鬼たちがどんな詩を好んでいるかについて、すごく興味深い話があります(こちらは清代の話です)
四月十七日、夜になって小石門を出て、北の磵(谷)に行く。風景を眺めて遠くまできてしまい、樹の下にすわって月が上るのを待っていると、わずかに話し声が聞こえてきた。
その声は、「夜気が澄んでいて、とりわけひんやりと幽雅な夜で、濃やかに塗られた金碧山水の絵よりも美しい」だったり、「古い琴の銘にも“山は静かで水は深く、木々の音はさらさらとして、古くより人は来ないで、石ばかりが立っている”というのは、とても描きがたい様子を描いていて、晩唐の絵師 荊浩にこれを描かせたが、出来ないと云われてしまった」と話していた。
さらに「近ごろ蘇軾が、壁に竹を描いていたが、枝葉を連ねて、春の雲が峰から涌くごとく、淡くなって濃くなって、がさがさと無理に飾り立てた様子は無かったよ」と云っていた。
さらにもう一人が、「近ごろ蘇軾の西天目山の詩をみたけど、秋の江が澄んだようで、霧も水もさらさらとして、技巧をみせようなんていう気持ちはまるで見えなかったよ。これは飛仙の筆が天然の妙だけを伝えたもので、まるで世界が違うよね」といっていて、これは神仙の会話だと知った。
四月十七日、晚出小石門、至北磵。躭玩忘返、坐樹下待月上、……微聞人語曰「夜気澄清、尤為幽絶、勝罨画図中看金碧山水。」……又曰「古琴銘云『山虚水深、萬籟蕭蕭。古無人踪、惟石嶕嶢。』真妙寫難状之景。嘗乞洪谷子画此意、竟不能下筆。」……又曰「頃東坡為画竹半壁、分柯布葉、如春雲出岫、疎疎密密、……無杈椏怒張之状。」又一人曰「近見其西天目詩、如空江秋浄、烟水渺然、……消尽縦横之気。……飛仙之筆、妙出天然、境界故不同耳。」知為仙人。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十八)
ここで興味深いのは「飛仙の筆」というところです。「飛ぶような神仙」って、さっきの「朝披夢澤雲、笠釣青茫茫(朝に雲夢のくもの中に立てば、さらさらと青く流れる鏡のようで)」の雲の感じに似ていませんか。
この“周りの風景がさらさらと流れていく”という雰囲気が、たぶん“飛仙の筆らしさ”になっていて、「山は静かで水は深く、木々の音はさらさらとして、古くより人は来ないで、石ばかりが立っている(山虚水深、萬籟蕭蕭。古無人踪、惟石嶕嶢。)」も似たような感じがあります。
もうひとつ、降霊術でつくられた詩をいきます(こちらは浮き草を詠んだものです)
ちらちら青々として野の水に浮かび、明月の光が蒼い浪を照らすのも遮って、風が吹いて雨が揺らせば泥の上にのせられて、燕は泥を銜えていきました。
點點青青浮野塘、不容明月照滄浪。風吹雨逐沙泥上、燕子銜来遶画梁。(『宋詩紀事』巻九十八 乩仙「詠萍」)
これ、よくみていると、初めの句は昼、ふたつめの句は夜、残りは昼……みたいになっていて、かなり奇妙な並びになっています。
さっきの「碧の雲は動かずして明け方の山は……」で唐突に夜明け前になっている櫓の詩とすごく似ているというか、神仙や鬼(死霊)ってあまり順序を気にしていないのかもです。もう一つ、そういう例をのせてみます。
1870年の秋、わたしは『埤雅(ひが)』という字書を買ったら、その中に緑の紙が畳んで入っていて、こんな詩が二つあった。
薄暗い靄は簾より低くして朱の扉は二つならび、寂しい風はさらさらと玉女の窓を鳴らすのでした。青い鬼火は古い壁の蔭からでてきて、緑の錆びは金の釭(車軸飾り)を朽ちさせるのでした。
草の根には露多くして虫の声も急にして、夜が深くなればひっそりと青く蓮が立っているのですが、湿った蛍がひとつ涸れた池を飛んでいけば、薄い光はばさばさとした紅い草をみせるのでした。
その下には「靚雲仙子が降りてきたときの詩で、張凝敬が書いておいた」とあって、どうやら降霊術で書かれたものらしかった。わたしは、これはきっと死霊の詩で、神仙ではないと思うが。
庚午秋、買得『埤雅』一部、中摺畳緑箋一片、上有詩曰「愁煙低幕朱扉雙、酸風微戛玉女窓。青燐隠隠出古壁、土花蝕断黄金釭。」「草根露下陰蟲急、夜深悄映芙蓉立。湿螢一点過空塘、幽光照見残紅泣。」末題「靚雲仙子降壇詩、張凝敬録。」蓋扶乩者所書。余謂此鬼詩、非仙詩也。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻二)
こちらの錆が金属を腐らせるところって、かなり長い間みていないと書けなくないですか……。あと、蛍がひとつ飛んでいるだけなのに、ばさばさと荒れた紅い草がみえる……というのも、なんか不自然というか、いきなり涸れた池のまわりが明るくなった感があります。
こんなふうに、神仙や鬼が書いた詩って、かなり長い間の記憶が凝り溜まっているような風景になっている気がするのですが、古い昔のことを幾度も重ねるように憶えているのが神仙や鬼の気分なのかもです(わからないけど)
西洲の鬼
ところで、六朝時代の隠れた名品として「西洲曲」という作品があるのですが、これは作者不明で、しかも似ている様式が他にない……というすごく不思議な作品なのです。
しかも、季節感がめちゃくちゃで、あちこちが飛ぶようにつながっていて、春の梅が出てきたとおもったら、いきなり秋の蓮の実を摘んでいたり――というように、すごく降霊術の詩に似ているのです(「西洲」は、たぶん「西の中洲」のことで、どこかの小地名かもです)
梅が西洲に散るのを憶えば、梅を折って江北に送る。ひとえの衣は杏色の紅で、わたしの髪は幼い鴉の色。西洲はどこにあるかと云えば、橋の先から舟を漕いでいくのです。
日が暮れてモズが飛べば、風は櫨(はぜ)の樹を吹いて、樹下にはわたしの門があり、門の中には露が翠の玉のごとくして、門をあけていてもあなたは来ないので、門を出て蓮の花を摘みに行きます。蓮の実を南池の秋につめば、蓮の花はわたしの頭より高いのですから、その下で蓮の実を触れば、さらさらとして水のようで。
その蓮の実を袖に入れれば、ころころと紅く染まっていき、あなたを想ってもあなたは来ないので、首をあげて飛ぶ雁をながめれば、飛ぶ雁たちは西洲にみちて、楼の上からあなたをのぞむ。
楼は高くしてそれでもみえず、一日じゅう欄干にもたれていて、欄干は十二曲で、わたしの手は玉のごとく白かったのですが、簾を巻いて天はどこまでも高く、海水ははらはらと緑にゆれていて、海水のさきに夢はゆれていて、君が愁えば私も愁うのです。そして南風はわたしの心を知って、西洲にまで夢で遊ばせるのでした。
憶梅下西洲、折梅寄江北。単衫杏子紅、雙鬢鴉雛色。西洲在何処、両槳橋頭渡。日暮伯労飛、風吹烏桕樹。樹下即門前、門中露翠鈿。開門郎不至、出門採紅蓮。採蓮南塘秋、蓮花過人頭。低頭弄蓮子、蓮子清如水。置蓮懐袖中、蓮心徹底紅。憶郎郎不至、仰首望飛鴻。鴻飛満西洲、望郎上青楼。楼高望不見、尽日欄杆頭。欄杆十二曲、垂手明如玉。巻簾天自高、海水揺空緑。海水夢悠悠、君愁我亦愁。南風知我意、吹夢到西洲。(無名氏「西洲曲」)
西洲はたぶんこの二人にとっての想い出の場所らしいのですが、すごく不思議な詩です。まぁ、降霊術で書かれたかどうかは分からないのですが、気分の質感がどこか死霊のような、想い出だけが凝っているような作品だなぁ……とかおもっています。
出てくる語彙とかは、六朝のころの長江あたりの民謡にも似ていますが、それらは五言四句なので、もっと短いです。雰囲気が似ているものでは、漢代の民謡などもありますが、こんなに飛躍だらけではないのです。


というわけで、降霊術でつくられた詩について、少しでもその魅力が伝わっていたら嬉しいです。かなり狭い話題でしたが、お読みいただきありがとうございました。