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降霊術の詩  PartⅡ

「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、降霊術(神仙や死者の霊などが降りてくると、木の棒をもっている人の手がうごいて、砂の上に字を書いてしまうらしいです)でつくられた不思議な詩についてです。

 ちなみに、「PartⅡ」とありますが、第一回はこちらです。

降霊術の詩 「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、中国の降霊術でつくられた詩についてになります。中国で...

 まぁ、話の中身はぜんぜん違うので、見なくても大丈夫です(笑)というわけで、今回は、降霊術でつくられた傑作をいくつか紹介していきます。

南斉の仙妓

西湖(浙江省の湖)にて降霊術をしていたら、こんな詩がいきなり始まった。

「古き香衣を埋めたところも草が茂りて、幾度めの夜の月でしょうか。詩人たちは幾度もわたしの墓を訪れますが、わたしはたまに捧げられた詩などをみるだけで、古い湖は涸れて古い草地は沼になり、雲雨が千年かさなってもまた同じような日々ばかりで、霊山にて花を供える人が、ときには仏寺にて蒼い月と対するなど誰も思わぬのでしょうが――。」

みていた人々は「詩人たちは幾度もわたしの墓を訪れ……」ということから、どうやら南斉の妓女 蘇小小だと気づいた。

ある人が、「仙姫さまは南斉生まれなのに、どうして唐の七言律詩がつくれるのでしょうか?」と問うと、棒はうごいて「世々を経ても、あの世とこの世はひとつ故、死者の霊もさまざまな世のことを知っていく。ゆえに今の語、今の文がわかる」と答えた。

さらにある人が「南斉のころの詩はつくれますか?」と訊くと、ふたたび棒が動き出して、南斉以前の民歌をつくっていた。

「あなたが来るときに来られず、わたしが行くときに行けず。あの恨み風が吹く日には、夜の渡しは白い瀾が憎いばかりです。
あなたは何処から来られたのですか――。今日の雨の中、杏色の衫がぬれて、わたしの為だというけれど。
蛺蝶の裙(スカート)結びをして、あなたのために小舟を漕げば、隠れるごとき堤のうらで、緑の波がとろりとろりと光るのです。
蓮の花の中には停まらず、岸の柳に入ってみれば、花の外の人にはみえず、柳の奥では二人きり。」

有在西湖扶乩者、下壇詩曰「旧埋香処草離離、只有西陵夜月知。詞客情多来弔古、幽魂腸断看題詩。滄桑幾刼湖仍緑、雲雨千年夢尚疑。誰信霊山散花女、如今佛火対琉璃。」衆知為蘇小小也。客或請曰「仙姫生在南斉、何以亦能七律?」乩判曰「閲歴歳時、幽明一理、性霊不昧、即與世推移。……即能解今之語、通今之文。」……又問「尚能作永明体否?」即書四詩曰「歓来不得来、儂去不得去。懊悩石尤風、一夜断人渡。」「歓従何処来?今日大風雨。湿尽杏子衫、辛苦皆因汝。」「結束蛺蝶裙、為歓棹舴艋。宛轉沿大堤、緑波雙照影。」「莫泊荷花汀、且泊楊柳岸。花外有人行、柳深人不見。」蓋子夜歌也。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十八)

 ……霊のつくった作品がすごく味わい深いのですが、一応ざっくり解説しておくと、蘇小小は南斉(六朝の中ごろ)のときに生きていたのですが、降霊したときに唐風の七言律詩をつくっていたので、なぜ唐のスタイルがわかるのですか……みたいな感じです。

 その答えが「あの世とこの世はひとつな故、死者の霊もさまざまな世のことを知っていき、ゆえに今の文がわかる」というのが、個人的にはすごく興味深いです。

 そして、南斉ふうのものをつくってみてください――と云われたときには、あえて南斉より昔の東晋ふうの五言絶句を、四本もつくっています……笑。

 ちなみに、東晋あたりの長江下流では、五言絶句で民謡がつくられていて、それが文人たちに取りこまれて、しだいに洗練されていきます(なので、東晋ふうの五言絶句は、かなりエロチックで俗世での幸せに貪欲です♪

五言絶句の魅力 「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、五言絶句についてご紹介してみます。五言絶句とは、一句...

 民謡ふうの五言絶句って、すごく植物が豊かで、しかも水が多くて、「あなた」と「私」と周りの風景くらいしか語彙がない世界だったりします。

 あと、最初にでてきた七言律詩は「古い湖は涸れて古い草地は沼になり(滄桑幾刼湖仍緑)」「仏寺にて蒼い月と対するなど誰も思わぬのでしょう(如今佛火対琉璃)」みたいに、数百年も生きている霊が、ぼそぼそと深くなったり浅くなったりする湖をみながら、少し冷静に澄ました様子なのがすごくおしゃれです。

 ちょっと余談になりますが、中国の詩のスタイルのなかで、五言絶句は最も湿っていて官能的、七言律詩はもっとも都会的で人工的――みたいなイメージがあります。同じ人(霊)が、同じものをみているはずなのに、いろいろな気分をまとっていくのが、とても不思議です……。

異域の詩仙

1760年、戈芥舟は降霊術をして、唐代の張紫鸞を名乗るものが降りてきた。その霊は「身は人の世の外からきて、瀛洲の仙山をみてきたが、日が暮れて夕風がふけば、雁は雲の中におちていく」という詩を挨拶代わりに出していて、この世の外から来たらしかった。

芥舟は詩について筆談していると、その霊はとても楽しそうで、名所の破石崖・天姥峯・廬山の詩を合作したら帰っていった。

そのうちの「破石崖」では、初めは五言で、対句なども整えられた形だったが、第九韻から先では、いきなり李白の「蜀道難」みたいになっていき、唐の人でもこんなスタイルは見たことがない。しかもong・eng・ingなどをまぜて韻を踏んでいて、韓愈の「此日足可惜」詩を真似ているらしく、どうやら古い作品にかなり通じている霊らしい。

乾隆庚辰、戈芥舟前輩扶乩、其仙自称唐人張紫鸞、……書一詩曰「身従異域来、時見瀛洲島。日落晚風涼、一雁入雲杳。」隠示以鴻冥物外。……芥舟與論詩、即欣然酬答、以所遊名勝破石崖・天姥峯・廬山聯句三篇而去。……其「破石崖」一篇、前為五言律詩八韻、対偶声韻俱諧。第九韻以下、忽作……李太白「蜀道難」体。唐三百年詩人無此体裁、殊不入格。其以東・冬・庚・青四韻通押、仿昌黎「此日足可惜」詩。又似稍読古書者。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十)

「この世の外から来た霊」って、すごく不思議じゃないですか……。しかも、ここで一緒につくった詩が、どれもかなりの傑作なので、ここでは「破石崖」を紹介してみます(霊が詠んだところは、色を変えています。「破石崖」は雲南省の崖の名らしいです)

先秦の頃より鳥の家だけがひらかれて、古い山雲はぼやぼやと流れるばかり――。斜めに熊の如く襲いかかり、その裏には虎のように屈んでいて、一たび雷が峰々を噛み割れば、万尋の谷はガラガラと裂けるようで。

泉は天より流れ懸かり、龍は地の果ての虹のようにおちていくので、わずかに鷹が一匹駆ければ、また岑(しん)としてただ雪が降ったようなのでした。ぼんやり暗い丹生の川穴――、ひらひらと淡雲が碧宮に舞いました。

忽ちにしてぞりぞりと太き二萬八千丈、疑うはこれが西嶽華山の縹緲たる玉女峰の花辨岩(はなびら岩)かと――。南には海と天がどんよりと黒くして、その大きなこと如何ばかりの深さかも知られず、光は蒼い電を収め、雨は松の嵐気を洗うので、そんな時にリスの群れがぞよぞよと木々の隙間を駆け抜けて渡るので、遠くの霞がわずかに染まるのを驚き見るばかり。

アァ、此の峰するどくして毒霧多き地に迷った私をさておいて、仙はひらひらと八極のうちを蝶のごとくして、あぁ私も神仙だから千年先まで少し遊んで、ちょっと歌いて四方の山々に声は吸いこまれ、いつまでも木々をながめて心は薄霧のごとく――、君たちも聞いたことがあろう――、あの老いた鷹は崖に飛ぶという、そんな険しい山の中での独り言。

先秦開鳥屋、古色破鴻濛。斜攫熊羆勢、陰蔵虎豹形。一声雷碎断、萬仞気峥嶸。泉掛垂天帯、龍来絶地虹。却看鷹隼疾、直怪霜雪封。……窈窕窺丹穴、逍遥向碧宮。忽然突兀二萬八千丈、疑是西華玉女之芙蓉。南望海天黝然黒、不知大道何冥冥。光収電影暗、雨洗嵐烟青。……時有松鼠無数上下跳躍松林中。驚指遠霞落、……蛮郷瘴癘労吾躬。有仙超超越八極、我亦千載騰高空。長嘯四問応、立久心自清。君不見老鷹崖相対、終古人難行。(清・戈濤『献県志』巻十二)

 別に意味とか無いです(この無意味さが降霊術っぽいです♪)

 途中で、「忽ちにしてごりごり太き二萬八千丈(忽然突兀二萬八千丈)」みたいに、霊のほうが仕掛けてくるタイミングがすごく良くないですか。あと、ちょっと伸び過ぎたかと思ったら「光は蒼き雷を収めて暗く(光収電影暗)」みたいに落ちつかせて、最後はずっと霊が独壇場になっていたりと、もはや自由すぎです……。

 こういう字数が不規則なスタイルは、たとえば李白「蜀道難」などにあって、山のガタガタと険しい感じとすごく似合っています(蜀は四川省です。四川と雲南は、どちらも山がすごく深い)

あぁ、危くて高く――、蜀の路は天に登るよりも険しく、西の太白山には鳥の道だけがあり、峨眉山の巓(いただき)をわずかに通っており、その上には六羽の龍に曳かせて超えるほどの高峰があり、下にはぎらぎらと白く巻く川があって、黄色い鶴は超えられず、猿も下で騒ぐばかりで、青い泥は低く溜まりて、百歩ごとに九回も巌の隙間に迷いこみ……

噫吁戯、危乎高哉、蜀道之難難於上青天。……西當太白有鳥道、可以横絶峨眉巓。……上有六龍回日之高標、下有衝波逆折之回川。黄鶴之飛尚不得過、猨猱欲度愁攀援。青泥何盤盤、百歩九折縈巌巒。(李白「蜀道難」)

 そして、ong・eng・ingなどを混ぜて韻を踏むスタイルは、韓愈が友人との出会いから、家郷での反乱をきいて慌てて帰り、夜には茫々とした黄河を渡り、ざらざらとした砂の中洲やぼそぼそとした野を越えてなんとか辿りついて、家では巻き込まれた者がいないのを知ってから、ふたたび都の友人が訪ねてきたので、そこまでの経緯をつめこんだ詩で用いています。

 この波瀾万丈感が、すこしガタついていても無理やり通していくような韻にすごく似合っていて、異界の霊は「李白の不規則なガタガタ感」と「韓愈の無理やりなガタガタ感」をまぜて、すごくガタガタな雰囲気にしています。

 かなり細かい話だけど、最初の韻は「濛(meng)」ですが、つづいて霊が出した韻は「形(xing)」なので、「今回は韻は混ぜるスタイルで行くよ」と云っていて、字数を不規則にしてくるのも霊が最初です。

 さすが異界の霊というか、もはや唐の頃にも無かったけど、もっともガタガタしている山に似合うようなスタイルをつくっていて、とにかくすごく自由自在です。

 というわけで、降霊術でつくられた詩の中でも、すごく傑作だと思う二つを紹介してみました。かなり謎な記事になりましたが、その魅力を感じていただけていたら嬉しいです。

 お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
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