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爛熟と頽廃

「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、文化の「爛熟と頽廃」って、どのような様子なのか……みたいな話をしていきます(ちなみに、退廃はもともと頽廃の字でした)

 なんとなく文化の流れとして、草創期-成長期-全盛期-爛熟期-停滞期-再興&頽廃期-衰退期 みたいなイメージがあるのですが、全盛と爛熟って何が違うのかと思いません……?あと、頽廃的な美しさって、衰退とはかなり違う気がしませんか(私だけかもですが)

 というわけで、今回は主観まみれになりますが、清代の詩を例にしながら、ひとつの文化がどんなふうに爛熟して頽廃していくのかをみていきます(ちなみに、清代では繊細な色や光、気分などを描いた詩がすごくきれいなのです)

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草創~成長期

 まずは、清代初期(順治帝~康熙帝の初期。1644~1680s)なのですが、このころの詩って、ひんやりと白い雲だけがあふれています。

黄色い巌から落ちる瀧――。さらさらと流れは隠れ里橋をくぐりました。ほそい松には淡い雨がふっていて、水石はともにしとしと濡れるばかりでした

萬仞黄巌瀑、流過招隠橋。長松吹細雨、水石共瀟瀟。(王漁洋「招隠橋」)

 霧の中にわずかに瀧がのぞいていて、水や石などはすごくぼんやり淡くて、やや粗いけどほのほのしているのが清初っぽいです(もっとも、今回は爛熟期の話なので、清初はこちらの記事で紹介しています)

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全盛~爛熟期

 清代では康熙帝・雍正帝・乾隆帝のときが全盛とされていますが、康熙帝は成長~全盛期、乾隆帝は全盛~爛熟期っぽいので、乾隆帝時代をみていきます。

眺め遊ぶのに良きところは、蒼々とした雨後の山――。試みに遠くつらなる姿をみれば、どこまでも薄暗くつづいていて、秋の香りは水のごとくして、まとう薄霧は白く光っているようで、四方は天がしだいに暗くなっていき、濡れた碧がつやつやとしていて、しだいにぼんやりと陽が沈めば、山裾の野も暗くなり、わずかばかりの土埃も立たずして、わずかに小さい雲が漂うような……

何処堪遊眺、蒼蒼雨後山。試看平遠勢、尽入泬寥間。秋意清如水、嵐光繞似環。四垂天澹沱、一色碧孱顔。邈與斜陽尽、遥随曠野間。都無繊翳隔、偶有片雲還。……(紀昀「賦得秋山極天浄」)

 ……とにかく巨大です。

 特に気になるのは「試みに遠くをみれば、どこまでも薄暗くつづいて(試看平遠勢、尽入泬寥間)」「薄霧をまとって白く光っているようで、四方の空はしだいに暗くなり(嵐光繞似環、四垂天澹沱)」みたいな、“全貌が現れている感”です。

 清初の詩が、まだどこか含みがあって、雲霧に隠れている様子だとすれば、こちらはだらだらでろでろと巨大な山が出きってしまっています……。

 あと、「薄霧は山をめぐるようで(嵐光繞似環)」「夕陽が落ちると、山裾も暗くなり……(邈與斜陽尽、遥随曠野間)」みたいな、大きいものどうしを並べた感がすごいです。一方で、清初は「水石はしとしと濡れて(水石共瀟瀟)」みたいに、かなり狭いです。

 もうひとつ、ややマイナーな詩人でみていきます。

衣を吹き上げる百尺の楼の上――、天の風はどこまでも浪ばかり。天の光と海の色――、ひとえにどこまでも深い青だけで、こんなときに日がのぼれば、赤い朝霧は東の海を灼くようで、遠くの島々もみえて、波が相次いで涌いているのでした。

流れる雲は西から来て、幾つもの馬が白く馳せているようで、風は遠くの山々を鳴らして吹き、天地はわずかに傾くような――。その内に座すれば、濤に漂うごとくして、白日が海にさせば、春の光がちらちらと明るいのでした。この内を眺めていれば、八方の果てをみるようで、楼の後ろの街をみれば、鈍い烟だけがわずかに立っておりました。

振衣百尺楼、天風何浪浪。天光与海色、一気同青蒼。是時日初升、赤霞焼扶桑。照見諸島嶼、波上争低昂。浮雲従西来、万馬奔洪涛。気巻五岳走、天地俱動揺。人坐此楼中、勢若随波旋。白日倒入海、青春走上天。念当乗風去、玄覧極八埏。回頭顧人世、一点如秋烟。(孫原湘「澄海楼望海」)

 やたらと大きくて、すごく全盛期的です。

 なんていうか、全盛期って、外に向かって大きくなるのが完成した時期っぽくないですか。「天の光と海の色は、ひとえにどこまでも深い青だけで――(天光与海色、一気同青蒼)」あたりは、いかにも延び切った植物みたいな大きさです。

 ですが、その後の「天地はわずかに傾くようで、楼は濤に漂うごとくして、(天地俱動揺、……勢若随波旋)」の繰り返しだったり、「天風浪浪上争低昂・天地俱動揺」のややしつこい満ち溢れた感などが、蔓どうしが育ちすぎて絡まっている植物みたいです。

 土手とかをみていると、大きく育ちすぎた草が絡みあって、互いにぎちぎちになっていることがありますが、ここでは大きい風景が絡んで重なっています(爛は「爛れる」なので、ちょっと熱苦しいくらい埋め尽くされているんですよね笑)

青い渓と玉の屏巌――。水の旅はここから下るので、江蘇の家々をめぐる水は、七千里先で揺れているのです。

青渓及玉屏、水程従此起。飛夢入呉江、迢迢七千里。(洪亮吉「自鎮遠舟行至常德雑詩 其一」)

 すごく短いですが、長江の上流(貴州省)の青渓・玉屏から、一気に江蘇省(長江下流)まで……みたいな、異様に大きい感じが爛熟っぽくないですか……(爛熟期って、一ヶ所でまとまり切れずに、だらりと外に延びているというか)

 ちなみに、この感覚がすごく分かりやすいのが、清代の磁器です(上が康熙帝時代、下が乾隆帝時代なのですが、康熙帝のときは育つ余地があって、乾隆帝時代はぎちぎちに苦しくなっているのが分かります笑)

 あと、すごくどうでもいいですが、完璧な全盛期って実はすごく短くて、果物で云うと、さらに熟させた方が美味しい時期(成長~全盛期)と、ややぐっちゃりしていて美味しい時期(全盛~爛熟期)みたいになっていることが多いです。

停滞期

 つづいては、全盛~爛熟期のちょっと後にある停滞期についてです。植物でいうと、あまり育ちもせず、まだ枯れもせず――みたいな感じです(嘉慶帝・道光帝あたりのときが停滞期っぽいです。アヘン戦争後ほど崩れてないけど、乾隆帝時代ほどの勢いは無いというか)

名山は偉人のごとくして、深く通じて内外に広く――、からりとして肺肝は並び開けて、溜まった病なども見えずして、第一に知られる仙源洞は、花木も深く茂り隠して、三台洞もその上に並び、多くの石はそれを囲んでいた。

ぎちぎちと狭くして忽ち開けて、嶺の上には旌旆(のぼり)がなびいていた。九つ曲がりの路にて供える酒を運び、狭い石段にて天の大恩を受けるために入れば、その険しさは世を絶し断ち、からからとして天の風だけが鳴っていて、わずかに身を棄てたようで、ひらひらと抜け散る気がしました。

名山如偉人、洞達無内外。軒然肺腑張、症結尽淘汰。第一称仙源、卉木交晻靄。三台次第列、衆石互鉤帯。逼塞開堂皇、摩空揚旌旆。九曲緑蟻通、一綫受天大。奇険絶世狎、谺谽動天籟。遂令風塵魄、窅然坐遺蜕。(張海珊「尋仙源玉笥三台諸洞」)

 少し風景が小さくなっています。あと、「からりとして肺肝は並び開けて、溜まった病なども見えず(軒然肺腑張、症結尽淘汰)」みたいに凝った比喩があって、全貌をだらだら並べている感はなくなっています。

「花も木も深く茂りて……(卉木交晻靄)」「多くの石は帯のごとく囲んで(衆石互鉤帯)」なども、無理して大きくしなくてもいいかな……という感じがあります。

 でも、その後に「険しさは世を断ちて、からからと天の風だけが鳴っている(奇険絶世狎、谺谽動天籟)」みたいな重々しく仰々しい句があって、威光はあるけど何となく力不足なのが、こちらのお皿の模様っぽいです。
(下の鳳凰の足元にも何か欲しいですのですが。ちなみに、道光帝時代です)

再興&頽廃期

 というわけで、いよいよ頽廃期です(アヘン戦争後の晩清が、頽廃期っぽいです)

 もっとも、再興しつつ頽廃というのが近いと思うのですが(植物とかでも、秋が深まってから生えてきた草って、あまり大きく育たないのですが、これが“再興しつつ頽れていく”です。頽廃の「頽」は、くずれる様子です)

道の左に大きな碑があって、これは天官の墓だと云う。石の馬は短い草を噛んでいて、リスが夕陽の陰をゆらしました。

豊碑出道左、言是天官墳。石馬齧枯草、松鼯弄斜曛。(李慈銘「偕雪甌孟調自瓦窯邨步入昌安門出西郭門成絶句七首 其三」)

 ……頽廃期の作品って、どことなく繊細な美しさがあるイメージですが、こちらはすごく頽廃っぽいです。

 これの何が魅力的かというと、初めに天官の墓の碑文が出てきたのに、思いっきり腰を折るように枯れ草・リスが出てきて、お互いに雰囲気を潰し合ったときの様子が、すごく繊細で潰れ頽れた魅力になっているのです……(すごく好き)

 全盛~爛熟期みたいな外に向かう余地がないので、わずかなところに生えた横枝みたいな方に育っているのが再興しつつ頽廃です。

菱の実をとる舟が入ると、草は霜が白く下りていて、水の美しさを喜べば、さらさらと小さな波たちが綺麗なのでした。

露が垂れて風が吹きこみ、玉の宮のまわりには金木犀が咲いていて、ほのほのと碧の雲がふえてくれば、わずかに雁の影だけがみえました。

黄色い鶴は霄(空)の先に舞い、コオロギは窓の近くで鳴くので、さらさらと衣を引いて、薄い帷がほろんほろりと薄曇り。

采菱江路淹、飛蓬霜靄深。且歌澗阿美、何傷時序侵。(紈)
露垂風入檻、瑤宮桂已林。隠隠碧雲合、寥寥去雁沈。(復)
黄鵠淩霄翥、蜻蛚向階吟。無為翳羅袂、回帷調素琴。(少春)(『湘綺楼詩集』巻十四 「辛丑八月十五夜家集聯句」)

 これは、晩清の王闓運の一家が、一族の宴でつくったものなのですが、どれも小さな横枝に咲いた花がすごく魅力的です。

 ひとつめは、楽しいはずなのにどこか薄暗い霜や靄がかかっているようだったり、ふたつめは、碧の雲が綺麗なはずなのに何故かぼんやり沈んだ色だったり、三つめは黄色い鶴が高く飛んでも近くの庭は薄曇りだったり……と、互いに潰れ合い薄め合うようになっています。

 外側に大きくなる時期は終わってしまったので、わずかに残ったすき間に小さい枝が出てきて、くねくねと小さく曲がりながら育っていくのが、再興&頽廃期っぽいです。

(ちなみに、王闓運は晩清の大詩人です。王闓運って、ごつい横枝がたくさん生えてゴテゴテ絡まっている作風なんですよね笑)

晩清の怪物  王闓運 「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、清代末期の王闓運(おうがいうん)についてになります。...

 あと、こちらが晩清の同治帝時代(1861~75)の磁器なのですが、小さい木がすごく優雅で惹かれます。


 というわけで、文化の爛熟期&頽廃期について、なんとなく思っていることをまとめてみました。

 爛熟期と頽廃期って、なんとなく似ているけど、頽廃期はどこか薄暗くて繊細、爛熟期はぼてぼて熱っぽい&ぎとぎと華やか……というイメージがあります。私の好みを云うと、晩清(頽廃期)が最も好きなのですが……。

(あと、衰退期まで来ると、もはや横枝も出せなくなって、しだいに新しい文化のほうに中心が移っている感があります)

 かなり複雑な話になりましたが、それぞれの時代の魅力を感じていただけていたら嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
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