明清

清代怪談 隠れ傑作選

「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、清代の怪談についてかいてみます。明代と清代の怪談って、すごく雑に云ってしまうと、なんとなく明代は『もののけ姫』っぽくて、清代は『千と千尋』っぽい印象です。

 明代の怪談は、恐ろしいけど美しい自然と、それを恐れる人間のせめぎ合いの中で、怪異を起こして抗うような自然の神々……みたいな話になっていることが多いです(もっと云えば、怪異は自然の霊威そのものになります)

明代怪談 隠れ傑作選 「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。  こちらの記事では、明代の怪談についてかいていきます。明代と清代って、怪...

 一方で、清代の怪談って、『千と千尋』っぽくて、怪異はあちこちに無秩序に涌いていて、しかも自然の霊力を奪われて、小さく棲むところを切り分けられながらも、わずかな隙間に隠れ棲んでいる……みたいな感じがあります。

 あと、怪異には怪異の世界があるけど、それは人間には窺い知れないままで話が終わってしまうことがほとんどです。なので、小さい怪異が想いを溜めたまま、のろのろと淀んでいる憂鬱さがあります。

 というわけで、清代の怪談の中から、いくつか魅力的なものをみてきます。ちなみに、中国で「鬼(き)」は死者の霊で、『千と千尋』の序盤の黒い影みたいな姿です。

鬼の巣窟

夜に歩いていて鬼と会った者がいて、それと闘い始めたが、たちまち多くの鬼があつまってきて、砂や石を投げてきたり、手足をつかまえて、左右から邪魔をしたり、あちこちから殴られたりして、何度も転びかけた。

その人はさらに怒りて、鬼たちと闘いつづけていたが、突然 丘の上から老僧が灯りをかざして「やめよ。ここは鬼の巣窟なり。一人の力で、つぎつぎ涌いてくる鬼を倒すことはできない。難を知りて退くのは、真の強きものというではないか。一時の恥と思えども、わたしに従いて古寺に泊まられよ」との声がした。

この人はそれを聞くと、たちまち囲いをふりきって、その灯りに従って逃げ出し、鬼たちはもやもやとしだいに遠くなり、老僧もどこかに消えてしまった。夜明けまで休んでのち、家に帰っていったのだが、この僧は果たして人だったのか鬼の僧だったのか分からない。

有夜行遇鬼者、奮力與角。俄群鬼大集、或拋擲沙礫、或牽拽手足、左右支吾、大受捶撃、顛踣者数矣。而憤恚彌甚、猶死鬭不休。忽坡上有老僧持燈呼曰「檀越且止。此地鬼之窟宅也、……以一人気血之勇、敵此輩無窮之変幻。……知難而退、乃為豪傑、何不暫忍一時、随老僧権宿荒刹耶?」此人頓悟、奮身脱出、随其燈影而行。群鬼漸遠、老僧亦不知所往。坐息至曉、始覓得路帰。此僧不知是人是鬼。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十一)

 まず、鬼の巣窟というのが、『千と千尋』の夜の街っぽくないですか……。鬼って、黒くて、しかも大きさや形がいろいろあって、なんとなく不気味だけど何を考えているのかわからないのも似ています。

 あと、助けてくれた僧すらも、人なのか、鬼の中でも害意のない鬼だったのかも謎――というのも、最後まで全貌がみえないままです(この“ぼんやりと隠れて分からない”というのが、清代の怪談らしさです)

 ちなみに、わたしは地味に気に入っているのが「鬼の巣窟」というセンスです。このあたりだけは、黒い影たちが隠れ溜まっているような、わずかに残された薄暗い場所……みたいなのが、小さく切り詰められた感があって、都会の中にわずかに残されている怪しいものを思わせます。(明代の怪談って、もっと植物や水の香りのするような、深い自然をまとっているんですよね)

鬼の溜まり場

ある友人が避暑のために寺に泊まっていると、禅室はすっきりとしていて、月の明るい夜に、枕の横から小さく光が入ってきて、きっと奥には小さい部屋があるのだろうと思って、障子の穴を広げてのぞいてみると、がらんと殺風景な庭があって、棺が仮置きされていた。

こういうところはきっと鬼が出るだろうとみていると、夜中に黒い影があらわれ、ぼんやりして人のようだったが、よくみるとわずかに男女がわかるくらいで、顔などはみえないものがいて、棺は数十あっても、鬼は三~五体、多くても十体ほどしかいなかった。

このようにしてひと月が過ぎ、誰にも言わずに、さらに鬼も気づかないようだったが、ある夜、二人の鬼が樹の後ろでいちゃつき倒していて、あられもない姿は人よりも甚だしかったので、つい笑ってしまい、鬼はふと消えてしまった。つぎの夜にのぞいてみても、鬼は一人もあらわれず、数日ほどして、突如 熱が出てきたので、きっと鬼の祟りだと思って、他の寺にうつった。

有友嘗避暑一僧寺、禅室甚潔、……一夕月明、枕旁有隙如指頂、似透微光。疑後為僧密室、穴紙覘之、乃一空園、為厝棺之所。意其間必有鬼、……夜半果有黒影、彷彿如人、……諦視粗能別男女、但眉目不了了。……厝棺約数十、然所見鬼少僅三五、多不過十余。……如是者月余、不以告人、鬼亦竟未覚。一夕、見二鬼媟狎於樹後、……冶蕩之態更甚於人。不覚失声笑、乃闃然滅跡。次夜再窺、不見一鬼矣。越数日、寒熱大作、疑鬼為祟、乃徙居他寺。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十六)

 怪異には怪異の事情みたいなのがあるのかも……とほのめかしているけど、全貌はみえないです。この鬼たちが溜まっているのが「空園」(殺風景な庭のこと)というのがすごく清代っぽいです。自然の霊力から切り離されて、わずかな狭いところに蠢いている感が『千と千尋』の疲れた小神っぽくないですか……。

 あと、寺のがらんとした庭に生えている木が、いかにも痩せていそうな雰囲気も、清代の怪異に似合っています♪

倉の狐

淮鎮(河北省滄州市)のある家では、空き屋が五つほどあって、庭を挟むようになっていたので、そこを物置きとして使っていた。ただ、子どもたちが入って遊んで、ごちゃごちゃと散かして騒ぐので、鍵をかけてみたが、それでも塀の低いところから入ってしまうので、「ここには狐の神様がいるので、入るべからず」と書いて貼っておいた。

数日ほどして、夜に窓の外から「君の招きを受けて、ここを守ることにした」との声がした。それよりのち、入った者には瓦が降ってくるようになり、使用人たちも入るのを嫌がるようになった。その五部屋は久しく用いられず、塀などもしだいに倒れ崩れるままになっていき、荒れ果ててしまうと狐神もどこかへ行ってしまった

淮鎮人家有空屋五間、別為院落、用以貯雑物。児童多往嬉遊、跳擲践踏、頗為喧擾。鍵戸禁之、則窃踰短墻入。乃大書一帖粘戸上、曰「此房狐仙所住、毋得穢汚。」……数日後、夜聞窓外語「感君見招、今已移入、當為君堅守此院也。」自後人有入者、輒為磚瓦所撃、併僮奴運雑物者、亦不敢往。久而不治、竟全就圮頹。狐仙乃去。(清・紀昀『閲微草堂筆記』巻十一)

 街の中に住んでいる狐というのが、やはり力を失いつつある自然っぽいです。どうでもいいけど、明代の怪談って、木々は大きくて深くて天まで届くほど薄暗いのに、清代の怪談って、ごちゃごちゃと小家が並ぶような中に、わずかに荒れたところがあって……みたいな風景なんですよね(たぶん)

査牙山洞

章丘(山東省済南市)の査牙山には、井戸のように深い洞があった。近くの村のものたちが、九月九日の山宴のときに、その奥を探ってみようとなって、その洞はがらんと大きいところを過ぎると、さらに底には小さい穴があった。その穴はうねうねとつづいていて、灯りで照らしてもその奥はみえなかった。

一人が灯りを奪ってまわりの者を笑いながら、身を狭めて入っていくと、たちまちにしてまた大きくひらけて、立って歩けるようになった。上からは石がだらだらと垂れ下がるようになっていて、両側にはさらさらと痩せたような石が、寺院の彫像などのように、鳥獣や鬼などの形をしているようにみえた。鳥は飛ぶごとく、獣は駆けるごとく、人は座ったり立ったり、鬼などは荒れ狂うごとくして、怪しく不気味で、がたがたと粗い造りでならべられたようだった。

薄気味悪いとおもいつつも、路は平らだったので、数百歩ほど行くと、西の壁ががらんと開けていて、その門の左には、また石でつくられた怪しい像があり、目を見開いて、口からは舌を浪うたせて歯を出して、左手は握って腰にあてて、右手は指をひらいて人を掴むような姿だった。

思わずぞっとしたが、その奥には灰のようなものがあったので、前にも来た人がいるのを知って、思いきって入ってみた。そこには碗などが並べられていて、泥がついていたが、近い世につくられたものに思われた。また、その横には錫の壺が四つあったので、ひとつ土産にしようと思い、腰にくくりつけておいた。

さらにその横をみると、亡骸のようなものが横たわっていて、手足をだらりとのばしていた。これにはとても驚いたが、さらにみてみると足には先のとがった靴を履いていて、梅花の模様などもあり、婦人であることがわかった。ただ、衣などはぼろぼろになって、色すらわからず、髪もぼさぼさとして、いくらかの乱れた糸を骨につけたようだった。

これはきっと瓔珞などの飾りもあるのだろうとおもって、火を顔に近づけてみると、口からはわずかに息が漏れているようで、火が小さく揺れており、わずかに暗くなったりしていたが、衣がどこか動いたような気がして、大いに驚いて、そのときに火がきえてしまった。

あわてて元の路を戻ろうとしたのだが、壁には不気味な石などが並んでいたのを思い出し、暗闇を手探りですすんでいたが、頭に石がぶつかって驚いて転び、あわてて起き上がり、すると冷たいものが首まで垂れてきて、おそらく血だろうと思ったが、痛みも感じず、声も出さずになんとか狭い入り口まできたが、そこを通ろうとしたときに、何かに髪を掴まれたような気がして、ついに気絶した

さきに戻っていた者たちは、しばらく待っても上がってこないので、様子をみるために二人ほどが下りてきた。例の狭い入り口までくると、血だらけで倒れているものがいて、驚いて入れず、うろたえていたが、上からさらに二人が下りてきて、その中で神経の太い者がいて、中に入って助け出された。

洞の外までもどると、半日ほどして息を吹きかえし、中でのことを語っていたが、まだ奥まで行かずに戻ってしまったことを惜しみ、さらに行けばもっといろいろなものが見られたかもしれないと云っていた。のちに県の役人がこれを聞いて、泥で塞いでしまい、その穴は入れなくなった。

康熙二十六~七年ごろに、養母峪の南側がくずれたときに、ふたたびこの穴がみえてしまい、鐘乳石がたくさん並んでいたが、その奥はみえないほど深く険しかったので入るものはいなかった。あるとき道士が、みずからを仙人の弟子と名乗り、「神仙の住まわれるこの洞を、きれいに清める役目を任された」といって、人々から灯りなどを借りて入っていったが、鍾乳石の上に落ちて、亡くなってしまった。県の役人は、それを聞くとふたたび洞に蓋をさせた。

章丘査牙山、有石窟如井。……會近村数輩、九日登臨飲其処、共謀入探之。……洞高敞與夏屋等、入数武稍狭、即忽見底。底際一竇、蛇行可入。燭之、漆漆然暗深不測。
……一人奪火而嗤之、鋭身塞而進。……即又頓高頓闊、乃立、乃行。頂上石参差危聳、将墜不墜。両壁嶙嶙峋峋然、類寺廟中塑、都成鳥獣人鬼形。鳥若飛、獣若走、人若坐若立、鬼魅魍魎、示現忿怒、奇奇怪怪、類多醜少妍。心凜然作怖畏。喜径夷、無少陂。逡巡幾百歩、西壁開石室、門左一怪石、鬼面人身而立、目怒口箕張、歯舌獰悪、左手作拳触腰際、右手叉五指欲撲人。心大恐、毛森森以立。遥望門中有爇灰、知有人曾至者、……強入之。見地上列碗盞、泥垢其中、然皆近今物。……旁置錫壺四、心利之、解帯縛項系腰間。即又旁矚、一尸臥西隅、両肱及股四布以横。駭極。漸審之、足躡鋭履、梅花刻底猶存、知是少婦。……衣色黯敗、莫辨青紅。髪蓬蓬、似筐許乱絲粘著髑髏上。……有想首顛當有金珠飾、以火近脳、似有口器嘘燈、燈揺揺無定、焰纁黄、衣動掀掀。復大懼、手揺顫。燈頓滅。憶路急奔、不敢手索壁、恐触鬼者物也。頭触石、仆、即復起。冷湿浸頷頰、知是血、不覚痛、抑不敢呻。坌息奔至竇、方将伏、似有人捉髪住、暈然遂絶。衆坐井上俟久、疑之、又縋二人下。探身入竇、見髪罥石上、血淫淫已殭。二人失色、不敢入、坐愁嘆。俄井上又使二人下、中有勇者、始健進、曳之以出。置山上、半日方醒、言之縷縷。所恨未窮其底、極窮之、必更有佳境。後章令聞之、以丸泥封竇、不可復入矣。
康熙二十六七年間、養母峪之南石崖崩、現洞口、望之鐘乳林、林如密筍。然深険無人敢入。忽有道士至、自称鐘離弟子、言「師遣先至、糞除洞府。」居人供以膏火、道士携之而下、墜石筍上、貫腹而死。報令、令封其洞。(清・蒲松齢『聊斎志異』巻九)

 怖っ……。清代の怪談って、ほんとうに怖すぎるものがたまに混ざっているんですよね……。しかも、その洞口って、平らなのか、がたがたと険しいのかも分からないし、鍾乳石なのか彫像なのかもわからず、どこまでが実際なのか分からないところが『千と千尋』のトンネルっぽいです。

 怪異が、そもそも本当にあったのかも分からない……というタイプの怖さになっているのが、清代っぽいです(逆に、明代の怪談って、もっと怪異がはっきり居る感じがするんですよね)。あと、あやしげな石の描写のディティールが凝りすぎです。

 穴が最後は塞がれてしまうところも、もっと不思議な世界をみてみたかったような、もとの世界に帰ってきて安心したような気分になります(これって、すごく『千と千尋』らしくないですか……)

橘樹

陜西の劉氏が、興化県(福建省莆田市)の長になったときに、ある道士が盆栽を贈ってきて、みてみると、まだ指ほどの幹しかない橘の木だったので、受け取らなかった。

劉氏には小さい娘がいて、まだ六~七歲だったが、ちょうど誕生日だったので、道士は「こちらの橘は大人がみて楽しむには足りないでしょうから、娘さまへのお祝いにされてはいかがでしょうか」と云ったので、受け取っておいた。

その子はひとたびみると、その橘をとても気に入って、いつも部屋におきながら、朝夕に世話をして傷つくのを恐れるほどだったが、劉氏の任が終わり、橘は娘の手首ほどになっていて、この年からついに実もつくようになった。

荷物をまとめているときに、この橘は重いからとなって置いていくように云ったが、その娘は橘の木を抱いて離さなかったので、家の者たちは「しばらく離れるだけで、またすぐに帰ってくるから」となだめて、娘はそれを信じて、泣き止んだ。そして、鉢ごと取られてしまうのを恐れて、塀の近くに植えさせてのち、その家を離れていった。

娘は大人になってのち、荘氏に嫁いで、荘氏は科挙を終えて、興化県の長になって、その娘はとても喜んだが、十数年も経っているので、きっと橘の樹はなくなっているだろうと思った。

興化県の旧宅にきてみると、橘はすでに十倍ほどの太さになっていて、千個ほどの実をつけていたが、そこの役人にきいてみると、みな同じように「劉氏が去ってのち、橘はとてもよく育ちましたが実がならず、今年初めて実ができたのです」と答えていて、さらに不思議に思った。

荘氏は三年ほど任がつづいて、その間は実が毎年たくさんついたが、四年めになると、ぐったりと衰えて花が咲かなかったので、夫人になった娘は「まもなくどこかに遷るのだろう」と云ったが、その秋になると、任地が変わることになった。

陜西劉公為興化令、有道士来献盆樹、視之、則小橘細裁如指、擯弗受。劉有幼女、時六七歲、適値初度。道士云「此不足供大人清玩、聊祝女公子福寿耳。」乃受之。女一見、不勝愛悦、置諸閨闥、朝夕護之惟恐傷。劉任満、橘盈把矣、是年初結実。簡装将行、以橘重贅、謀棄之。女抱樹嬌啼。家人紿之曰「暫去、且将復来。」女信之、涕始止。又恐為大力者負之而去、立視家人移栽墀下、乃行。
女帰、受荘氏聘。荘丙戌登進士、釈褐為興化令、夫人大喜。窃意十余年、橘不復存。及至、則橘已十囲、実累累以千計。問之故役、皆云「劉公去後、橘甚茂而不実、此其初結也。」更奇之。荘任三年、繁実不懈。第四年、憔悴無少華。夫人曰「君任此不久矣。」至秋、果解任。(清・蒲松齢『聊斎志異』巻七)

 この橘の樹が、道士の贈ってくれたものだからなのか、大事に育てたからなのか、それもぼんやりとわからないまま小さい怪異が無秩序に漂っているような、そうでもないような話です(余韻があって、すごく好き)

 すごく余談ですが、『千と千尋の神隠し』に出てくる庭って、いろいろな季節の花が咲いていて、異常なほど綺麗で、それでいて季節感が無いのが好きなのですが、自然の物なのに、なにを想っているのか分からずに雑然と溢れているような、力のない怪異っていいですよね(笑)

 というわけで、清代の怪談の中から、わたしが好きなものをいくつか選んでみました。かなり無理やりな解説になってしまいましたが、その魅力を少しでも感じていただけたら嬉しいです。

 お読みいただきありがとうございました。

ABOUT ME
ぬぃ
はじめての人でも楽しめるような中国文学の魅力をご紹介できるサイトを書いていきます♪あと、中国のファッションも好きです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA